爺さんを偲ぶ日々、そして癒しの旅路、松山道後から呉、広島へ

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4月に最愛の夫が亡くなりましてから

丁度半年が過ぎました。1年半という短い闘病生活でした。

爺さんが亡くなるなどとは考えられなかった、

考えたくもなかった私はまさに現実逃避をしていて

日々病状が悪化していく中にあってもきっと良くなるはずだと

信じて疑わなかったお目出度い人間でした。

そんな私に亡くなる何日か前に爺さんが言った言葉は

「俺が死んだら○○から必要書類が来るから心配しないで、

愛してるよ、でもお前は現実を見ようとしないでいつまでも

夢みたいなことを言っているから駄目だよ。

現実を直視して、死んだ後の事はわかるようにしてあるから」

というのです。

私が「そんなこと言わないで、まだまだ大丈夫!元気になる」

と言いますと

「馬鹿!又夢みたいなことを言って俺は自分で思っている以上に

人生を全うしたよ」そんな覚悟を持った言葉を告げられると

私には返す言葉がありませんでした。

爺さんは覚悟のある強い男らしい人でした。

ウニもデッキでよくのんびり鶯の声を聴いていましたが

ちょうど爺さんが苦しい息の下こんなやり取りをしていましたら

どこかしら森から鶯の鳴き声がして

まるで私と爺さんを見守ってくれているかの様な

それは不思議な感覚でした。

爺さんを病院から許可を頂いて我が家に連れて帰ったことは

コロナ下にあって正解だと思ましたし病院で死なせたくなかった。

爺さんを看取ったことは私にとっては辛い体験でもありましたが

逆に考えると私が先に亡くなる事は残された爺さんが

辛い喪失感と孤独を味わうのだと思うといたたまれませんでしたし

私がその役目を引き受けることは唯一良かったと思っています。

爺さんを亡くしてから5、6月は最悪の精神状態でした。

夜は全く眠れず、朝もボーっとしているのです。

爺さんが亡くなったのは現実に起こったことではなく今も夢の途中で

夢から覚めてないのではなどと考えてしまうのです。

blogどころではなく深い沼に沈んでいく

感じだったような気がします。

今まで経験した事のない喪失感でした。

けれど何とか少しずつ前向きにと思っていましたら

先日blogで仲良くして頂いている皆さんから

コメントを頂き沈んでいた気持ちが少し上向きになってきました。

日常の生活の中でも突然涙が溢れてきて困惑することは

ありますが「母さんを頼む」と子供達に言って亡くなった爺さんの為にも

弱音を吐いてばかりもいられません。

友人が誘ってくれたことを切っ掛けに昔転勤で住んでいた

思い出の地に爺さんの供養を兼ねて婆さん二人旅することにしました。

上の写真は結婚する少し前に行った広島県にある瀬戸内海の島、

倉橋島にある桂ヶ浜荘のカフエから撮った写真です。

呉市広島市も劇的に変わっていて浦島太郎のように口をあんぐり開けて

変貌を遂げた町を見て唸ってみてもそれは当然の変化なのですが

懐かしい時代が過ぎ去って爺さんとの思い出も消えてなくなって

しまったような寂寥感を感じてしまいました。

ただ倉橋の海は変わりなく青い海や波の音が私の心に

何か温かいものが呼び覚まされるようなそんな感覚を持たせてくれました。

 

 

 

 

 

 

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新横浜で友人と待ち合わせ新幹線のぞみで

岡山まで行きそこから四国の新幹線?しおかぜに乗り瀬戸大橋を

渡って松山の道後温泉まで行きます。

車内から瀬戸大橋を渡りながら眼下に広がる雄大な海と山の景色を

楽しみました。

 

 

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松山には14:00台に到着。

松山は爺さんの愛読書、司馬遼太郎坂の上の雲のモデルとなった

秋山真之、好古兄弟が伊予の国松山で生まれ育った場所です。

今回は時間がなく坂の上の雲ミュージアムには残念ながらいけませんでしたが

次回又来ることが有れば行きたいと思います。

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現在歴史的建造物の道後温泉本館は修復作業中でした。

お湯には入る事が出来ましたが

何か申し訳ない様で入りませんでした。

外から暫し眺めさせていただきました。

 

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漱石の坊ちゃんのおはなしは自身が赴任していた松山が

モデルと言われているようです。

漱石の赴任した旧制松山中学は秀才の集まりであったのか

そしてあの松山兄弟の学び舎でもあるという事は

漱石が教師として如何に苦労したのかを

窺い知ることが出来るのではと感じた次第です。

 

 

 

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素敵な設えが館内のあちらこちらに

お宿の気遣いに心がほっこりします。

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道後の商店街に置いてあった

昔ながらの可愛い赤いポスト。

ほっこりしますね。

 

 

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道後に到着した日に観光案内所の方から

明日はコロナで開催されなかった道後秋祭りが

3年ぶりに開催されるので是非見て下さいと

教えて頂きました。

早朝6時から8体の喧嘩神輿が押し合い競う

中々に激しいお祭りだそうです。

桟敷席ではないので十分には見られません

でしたが鯔背な若い衆の怒号や掛け声だけでも

見学者の私達にもその熱気が十分に伝わり

お祭り気分満載でした。

お祭り好きには心躍るものでしょうね。

 

 

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伊予鉄道の車両です。

曇り空にオレンジ色が映えて

このまま行き先も決めず気の向くままに

乗って行きたいと旅心を

掻き立てる気分にさせます。

 

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旅に疲れた体を癒すのは

美味しい食事とお酒です。

と言っても私は下戸でございますので

お酒の美味しさはよくわかりませんが

友人は出された柚子酒が美味しいわと

気に入ったようでした。

爺さんを知る友人とふたり

爺さんの供養を兼ねて

感謝しながら美味しいお食事を頂きました。

 

 

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照紅葉前菜盛りに

添えられた秋の風情の松葉と

透かし葉をあまりに素敵で

ノートに挟んで持ち帰りました。

 

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道後を後に呉広島に向かうまでに

時間をとって住宅街の中にある

知る人ぞ知るのセキ美術館に

行く事にしました。

明治昭和の巨匠による絵画、

ロダンの彫刻など400点あまりの作品を

所蔵されていると教えて頂きました。

上村松園、松篁、淳之の3代の作品も

所蔵しておられました。

加山又造の艶かしい「きもの」

「白い道」は凍てつく大地と暗い空の対比が

不安を掻き立て寂寥感に押しつぶされそうな

思いを強く感じました。

対比的に黒田清輝のプレハの村童と

小磯良平の少女像は画家のもつ愛を

感じて温かい気持ちになります。

ロダンの彫刻も素敵でした。

ポリフォンのアンティークオルゴールを

聴かせて頂きながら秋の旅路の

芸術鑑賞を十分に楽しむ事が出来

幸せでした。職員の方も本当に親切で

良い時間が過ごせました。

 

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美術館を後にして松山港

シャトルバスで移動です。

流石に高速艇は早い!

あっと言う間に呉港に到着です。

瀬戸内の海の景色も流れるように

すぎて行きその昔のんびりまったりと

フェリーで行き来した風景を懐かしく思い出しました。

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呉港に到着して又々びっくり、

昔の面影はどこにも無く

近代的なビルになっていて隣には

これ又巨大な大和ミュージアム

建っています。

まあ我が住む街も知らないうちに

建物が建て替わりびっくりすることも

あります。ましてや50年は半世紀です。

変貌を遂げて当たり前と思いはするのですが

あの懐かしい街並みや風景のなかで若い日を

過ごした日々をノスタルジックに感じている

年老いた老婆が世迷言を言ってると

思われても仕方ないなと。

 

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呉港の雰囲気も変わりました。

 

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呉は尾道と似た坂の町です。

坂から降って湾が開けているので

その昔は軍港として栄えたのでしょう。

船の修理などを行うドッグが今もあります。

大和ミュージアムを見学させて頂いた後

隣りに素敵なカフェが出来ていましたので

お茶を飲んで少し休憩することに

しました。

それからネットでレンタカーをお願いして

いたのでトヨタヤリスをお借りして

友人が渡りたいと言っていた早瀬大橋を渡って今夜の宿倉橋島に行きます。

運転者の私によそ見はご法度。

友人が絶景かな絶景かなと

叫ぶのを聞いておりました。

瀬戸内の景色は本当に美しい!

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50年前

若かりし頃爺さんと来た

思い出の倉橋島の桂が浜荘に

やって来ました。

夢を語り まだ何の不安もない

楽しかった日々の事が昨日のように

思い出され胸が苦しくなってきます。

倉橋の海や山の風景はあの頃と

変わりなく懐かしさが込み上げてきます。

桂が浜荘は横浜から帰って来られた

先代のお孫さんが今は運営されている様です。

昔此方に伺った話をしますと

先代が喜びますと言って下さいました。

 

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朝な夕なに表情が変わる

美しい瀬戸内の海の景色は

いつまで見ていても飽きません。

その上晴れた夜は満点の星が

夜空に広がりこの日も

爺さんの事を思い出し

目が冴えてねむれませんでした。

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この砂浜を2人で歩いた遠い昔

長女が生まれてから親子で

砂遊びに興じた日

そんな事を思い出しなから

今は1人になってしまった

所在なげな婆さんを友人が

写真におさめてくれました。

 

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桂が浜の小さな可愛い貝を

拾って帰って来ました

そして爺さんにお線香をあげながら

爺さんの側に並べて

旅の報告をしました。

 

 

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桂が浜荘の夕餉は

新鮮な大きなカワハギの

お造りでした。

大きな肝も甘くコクのあるお味で

爺さんも好きだったことを思い出しながら

頂きましたが2人では食べきれない量でした。

煮物和物他のお料理も美味しく

昔と変わらぬお味で感激しました。

 

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倉橋をあとにして向かった先は

江田島市の旧海軍兵学校の見学です。

明治に築地から移転して以来先の大戦まで

優秀な海軍士官を育ててきた日本海軍、今は海上自衛隊

聖地?でもあるとガイドの方が仰っていました。

今は海上自衛隊が管理しておられ

この歴史的建造物を

見せて頂ける事に感謝です。

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教育参考館

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海軍兵学校校舎

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確か東郷平八郎の遺髪が

安置されている場所です。

あの秋山真之兵学校の卒業生で

素晴らしい書と絵を残されています。

文武両道とはこの方達のことを

言うのだと改めて認識しました。

先の大戦で日本各地から集まった

秀才中の秀才が数多の命を失ってしまった事は

日本にとっても大損失だったと思いました。

今の日本や世界の現状を空の上から見て

嘆いておられるのではと

申し訳なく思ってしまいました。

兵学校を後にし島のドライブを楽しみながら

お昼は江田島オリーブファクトリーに

立ち寄り現地で採取ファクトリー内の

工場で圧搾されたオリーブオイルの

SHOPでお土産を買いながら

併設のレストランでお昼を頂きました。

昼食後早瀬大橋を通り呉市に行き

車を返却しJR呉線

広島まで行く事にしました。

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広島は中国地方最大の都市で

商業経済の中心的な近代都市です。

然し昔も発展した街でしたが

到着してみたら想像を超える都市に

なっていて町の中心を走る市電が

変わりなく走っている事に何故か当たり前でも懐かしく

安堵した気持ちになりました。

爺さんが生まれ育った横浜は私達がまだ若いころは

中心部を市電が走っていてよく利用したしたものです。

そんな思いを抱きながら

広島駅からホテルのある八丁堀まで市電を利用しました。

八丁堀は中心地なので平和記念館や

原爆ドーム、美術館、デパートなどが

あって市内観光には便利です。

先ず平和祈念館に行きましたが昔の展示とは大きく変わっていて

意気地なしの私にはその悲惨な映像や展示物を

しっかり見る事が出来ず足早に見終えてしまいました。

唯々悲しく人間がこんなに残虐非道なことが出来るのかと

怒りや悲しみで一杯になりました。

当時の広島で確かに生きていた特に子供たちの

写真に残された笑顔が焼き付いて頭から離れません。

 

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婆さん2人暗澹たる思いを抱えたまま

暗い気持ちでひろしま美術館に向かいました。

今日は人気があるヨシタケシンスケ展があるので混雑しているとの事で

時間指定の整理券を頂に行き

時間が来るまでお茶を飲んで待ちました。

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ひろしま美術館はマネ、モネ、ルノワールシスレードガ

ゴッホセザンヌマティスピカソから

私の好きなエコールドパリのローランサンモディリアーニ、藤田

シャガールなどを所蔵していてこれらを堪能する事が出来ました。

ヨシタケシンスケ展の方は混んでいましたが

こちらは本当に空いていてゆっくり鑑賞出来て幸せでした。

 

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ヨシタケシンスケという方を全く知りませんでしたので

興味深く見せて頂きました。

上の天国のフカフカ道では

大人も子供もフカフカクッションの道を

楽しそうに歩いていて何だか幸せに感じました。

 

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あなたもリンゴかもしれないコーナーでは

私も年甲斐もなく写真を撮って楽しませて頂きました。



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道後で友人が美味しいと言っていた

蔵元の柚子酒と蜜柑塩を お土産に買いました。

江田島のオリーブファクトリーでも

レモンオイルを買ってみました。

今回の旅は若いころ爺さんと暮らした

思い出の地を訪ねる旅でしたが友人のお陰もあって

とても有意義な楽しい旅となりました。

爺さんにも報告が出来ましたし

無事に帰ってこられて本当に感謝です。

私にとって爺さんとの出会いは人を愛する事の

喜びを教えてくれました。

私は両親が離婚をしていて親から愛された記憶が

あまりありません。

ただ祖父母が代わって愛情一杯に育ててくれたことは

今でも感謝しています。

爺さんも早くに父親を亡くして苦労したと思いますが

誰にも頼らず大学も卒業し持ち前の強い気持ちで

人生を乗り切ってきた気がします。

私が思うに私たちはベターハーフだったと信じています。

結婚して50年お互いを必要として生きてきました。

ゼウスが半分にしてしまった片割れを

やっと見つけたのに

またもやもぎ取られてしまった

今はそんな気持ちです。でもこれからは爺さんに感謝して

爺さんが迎えに来てくれるまで前向きに

残された人生を全うしたいと思っています。

今回の旅はそんな思いを新たにした旅でした。

婆さんのくどくどとかいた戯言をお読みくださり

感謝申し上げます。

有難うございました。