師走の京都は底冷えがしました。ポーランドクラクフのツリーの便り
今年の4月に最愛の爺さんが逝ってしまって以来
5月から夏あたり迄はどん底の精神状態でした。
最近は少し落ち着いては来ましたが、食欲も出てきて
食べてはいるのですが大好きな美味しいパン屋さんに久し振りに
出掛けて買ってきたアンパンを頬張りながら
無性に泣けてきてそんな自分の姿をどこかで眺めていて
また悲しくもおかしく泣き笑いをしているということがあります。
よく友人にも「元気になった?」と聞かれますが
これが一番つらい。
いつまでもめそめそしている駄目な人間と思われては嫌だと思いますし
別離の悲しみは味わった人でないとわからないと思うのです。
でもわかってもらうほうが無理なのであって
自分の悲しみは胸の奥深くに閉まって
たまに思い切り泣くことで気持ちばかりでも辛さが解消できるかと思っています。
巨大なクリスマスツリーの写真が送られてきました。
3,4年前に行った時のクリスマスマーケットの楽しい雰囲気を
思い出しました。明日はポーランドから娘家族が帰国します。
再会を嬉しいと思う反面年暫く続くカオス?にちょっぴり頭痛が...
先週、次女が久し振りに少しお休みが取れたので京都に行かない?と
誘ってくれました。車の開発等の仕事をしていますので
厳しく多忙な毎日を送っている理工女の彼女ですが
まあせっかくなのでお言葉に…笑 甘えていくことにしました。
子供たちはお婿さんが引き受けるからママと行って来たらと勧めてくれたとかで
然し私は孫とも行きたかったのですが学校やら塾やらで無理でした。
愛知まで新幹線で行き車で待っていた次女と駅で合流して京都まで
車でなんと2時間弱、愛知から京都は本当に近いということを実感しました。
まず行きたかった伏見稲荷に直行。
神社の広さに驚かされました。
千本鳥居が有名で
これを見る目的に海外からの観光客も多いとか?
確かにアジアからの観光客が多くアジアのいろんな国の
言語が飛び交っていました。
然し境内の広さにはうなりました。竹林を回る散歩コースなど
私にとってはそれを全部回るのは苦行です。
なのでお山めぐりは遠慮しました。
お稲荷さんがあちこちにあってお顔を拝見しながら楽しみました。
境内にあった獅子の像の何となくユーモラスで可愛い事。
伏見稲荷の境内にある 稲荷茶寮で濃厚なお抹茶味の
ソフトクリームをいただきました。
境内を歩き疲れた足と乾いたのどに優しいとてもおいしいソフトクリームでした。
八島が池と呼ばれている池のある素晴らしいお庭を拝見しながら
頂きました。神社仏閣というのは本当に気持ちが落ち着きますね。
東寺にも寄ってみましたが少し迷って付属の洛南中高のほうへ
向かってしまいました。娘が言うには
関西有数の進学校だとか、お寺も立派でしたが学園も立派でございました。
宿泊したところは娘の会社関係のとても素敵なホテルで鴨川沿いの
静かな場所にありました。そこから歩いて行ける平安神宮の
夜詣でに行ってみました。境内に素敵なカフエや蔦屋ショップなどもあり
のんびり覗いて京都の夜を楽しみました。
携帯ではあまり写りがよくありません。
夜にライトアップされた
平安神宮は神々しいほどでした。
お参りの方も多く、夜はさすがに若い観光客が多かったです。
夜は中華料理にしようと娘が言いますので
えええー京都に来て中華料理?と思いましたが
「そう言わないで、お店を見るだけでも良いわよ」といいますから
鴨川沿いを歩いてそう遠くない東華菜館に来ました。
四条大橋西詰にあるこのお店は1926年に出来たとのことです。
何しろ日本に現存するエレベーターでは最古のものとか!
矢張り京都は戦火を免れていますからこういうものも残っているんですね。
私がブログを書いていることは娘は知りませんので
写真をパチパチと取るのは好きではない娘が嫌な顔をするので…
今回はあまり良ショットが?取れませんでした。
お料理の写真も撮っていませんがお味はまずまず。
中華といえば爺さんの地元横浜は名店が犇めいておりますし
爺さんの小さいころから時々連れて行ってもらった思い出のお店も
あったりして矢張り中華料理は横浜中華街かな、と思いますが
このお店もとても素敵でしたし大正15年という昭和に移行する
激動の時代に造られたというだけでもワクワクしました。
お店の方がエレベーターを操作して上の階に案内してくださいました。
歴史的エレベーターの雰囲気を味合わせていただきました。
爺さんと何度か行った思い出のそして
私のお気に入りのイノダコーヒー本店で
ランチをいただきました。京都にしては本当に良心的なお値段と
頃合いの良いサービスでホット一息付けました。
美味しかった。
一度も行ったことがなかった嵯峨野のトロッコ電車に乗ってきました。
娘はしぶしぶという感じでしたが私が行きた~いというので
車で連れて行ってくれました。
ところがトロッコ電車です。電車の上部は全開でそれでなくとも雪のちらつく
寒風吹きすさぶ京都でこれに乗るのは多分海外の方か
私ぐらいのものと自身でもあきれておりました。
まあお天気だけはよく晴れた一日でしたので救われました。
景色も素晴らしく春夏秋冬それぞれに美しい景色が
楽しめるのでは思いました。
窓は全開状態です。
海外の観光客の方が圧倒的でしたが皆さんそれぞれに
楽しんでおられるようでした。
然し京都は寒くて底冷えがしました。
春夏秋は船で保津川下りが盛況のようですが
流石に厳寒のときは無理だと思います。
なんだかんだと2日間の京都を娘のおかげで楽しみました。
今年は爺さんのことがありましたが
来年からはまた少し旅行にも出かけてみたいと思っています。
まずは忙しい仕事の中旅に連れ出してくれた娘に感謝です。
クリスマス前にお花屋さんでマジックアマリリスなるものを
見つけました。お水が全くいらないそうで
このまま春まで何もせず置いておくと大輪の
アマリリスの花が咲くのだそうです。
これは春が待ち遠しいなと今から楽しみになってきました。
さてどんなお花が咲きますやら!
妹と2人でクリスマスをと思い簡単なものと妹の好きなフルーツケーキも
作り昔話をしながらも病気による認知が少し進んできた妹は
悲しいかな会話が成立しないこともあります。
この日は食事を済ませて早めに床にはいりましたが
明け方事件が起こりました。
早朝妹が転倒してしまい、これは大変と関節の可動域を見ましたら
両上下肢に異変はなく肩甲骨が少し腫れていましたので
日曜日でしたので安静にして待って次の日に診察に行きましたら
肩甲骨骨折の診断でした。CTやら血液検査やらで他は異常なしということで
ひとまず向こう2,3週間は安静にしているほかないということでした。
今年は最後の最後までいろんなことがありました。
爺さんを亡くして自分自身も老いを感じる年でしたが
色んな事にめげずに前向きに生きていかねばと思っています。
毎年鎌倉からシクラメンを持ってきてくれる友人が今年も
行くわと言ってくれましたが
今年は私が出かけてみますということで
お天気の良い日に鎌倉に出かけました。
長谷の小道沿いに紙貼画のサロンのような小さなアートギャラリーのような
お店を見つけました。
今度時間のある時に覗いてみたいと思います。
彼女から頂いた深紅のシクラメンは茎と根がしっかりしています。
私が11月に購入した薄いピンクのシクラメンは茎が弱く直ぐに
ぐにゃっとなってしまいます。
彼女に「毎年大変だからもうこれで最後にしてくださいな」というと
「あらっそんなこと言わないでよ、このシクラメン作っている若い農家の
ご夫婦はけなげに頑張っている人なのよ、だから、私応援してるの
あなたも応援すると思って私からの一年のささやかなお礼でもあると思って
協力して」と優しい心根の彼女らしい答えが返ってきました。
じゃあ尚更大事に育てなきゃと思った次第です。
彼女の家の日当たりの良いサンルーム状態の植物が沢山置いてある
お部屋は私も大好きです。
何度も同じことを言うとお母さん年取ったわねと娘に
くぎを刺されますが 今年は私の人生で最もつらい別れの年でした。
然しいろんな方に支えていただいて今日までこれたことに
感謝の気持ちでいっぱいです。
そしてブログを読んでくださる方やコメントをくださる方に
感謝しながらこれからまた前向きに暮らしていきたいと思います。
今年も本当にお世話になりました。
2023年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆様どうぞよいお年をお迎えください。
クリスマスのイベントが続いて...そして3年ぶりのクラス会とポーランドから雪の便り!
2022年も師走となり残すところあと僅かとなってしまいました。
今年は私にとって人生最大の別れと試練の年でした。
四月に爺さんが逝ってからは何もかも駄目になりそうな
自分を奮い立たせてきました。
でも泣き言ばかり言っていても益々気持ちが低下してくるので
務めて前向きに、家に閉じこもってばかりいないで
出てみようと思いました。それでなくともコロナコロナで
気持ちも萎縮しがちです。
人は一人では生きていけないものだとつくづく感じています。
いろんな人に助けていただいてこの一年これたことを本当に感謝しています。
さて、今月のフレンドシップはHannahさんのお宅での
クリスマス会です。
一人1500円のプレゼントを持ち寄りゲーム感覚のプレゼント交換を
しますがこれがまた楽しいのです。
それぞれが人数分番号をもらって順番通りツリーの下の
プレゼントを取りに行きますがそのプレゼントを2回までなら
他の人が取ってもよいのです。
謂わばプレゼント奪還ゲームとでも言いましょうか?
わあわあきゃあきゃあと姦しい事この上ありません。
小さなプレッツエルに可愛いお菓子が載っています。
オードブルもクリスマスらしい色合いで心躍ります。
お味もおいしかった。
皆さんホステス側はいろいろと準備をしてくださっていました。
ドリンクサービスのテーブルに日本の帯が
掛けてありましたが汚れたらどうされるのかなと
老婆心ながら心配になりました。
疑似暖炉の火が赤々と揺らめいています。
これは素敵ですね。昔これに憧れましたが
置く場所や光熱費を考えてあきらめました。
このターキーの柔らかくてジューシーなことといったらありません。
本当にお味もよく美味しくいただきました、
素敵なお父様とお嬢さん。
アメリカから素敵なお父様とお母さまが日本に来られていて
日本はとてもきれいだとおっしゃっていました。
新幹線に乗ってたら赤ちゃんモデルの撮影に出くわしたとか。
その後の話はよく聞き取れませんでしたが
日本を楽しんでおられるようで私たちもそれを聞いて嬉しく思いました。
お嬢さんも綺麗な聡明な方で
素敵なご家族でした。
少し前からピアノをまた始めました。
爺さんのことがあって2年くらい弾いていませんでしたが
矢張り自己流でやるよりきちんと教えていただいてやるほうが
良いと思い丁度近くに良い先生がいらっしゃったので
門を叩くことにしました。
いざ始めてみると指が動かない、しかし先生に
これまた励ましていただき調子に乗ることにしました...
我が家でアップライトを弾いていますと
矢張り先生のグランドピアノの音には魅了されます。
それだけでも幸せと思い精進(笑)することにしました。
とりあえず半年前に譜読みをしていたヘンデルのハルベルソン
と”今でも”を練習しています。
さてどうなりますことやら
いつもお世話になっているY女史からお誘いを受け
Y女史宅で開かれたクリスマスリース作りに参加させていただきました。
先生は厳しい方?と伺っており戦々恐々の思いで出かけましたが
楽しい方でした。ロンドンで修業なさったということで
流石にお話も面白い方でした。総勢9名で
わいわいがやがやと美味しいお菓子とお茶を頂き
ほっこりした気持ちで帰宅しました。
本当にいつもY女史には感謝感謝です。
短大の仲良し6人組のクラス会を我が家で行いました。
コロナや爺さんのこともあって暫く会えませんでしたが
若いころの思い出話に花が咲きました。
7人のうち美人のyちゃんは悲しい事にかなり前に亡くなってしまいました。
Sさんは乳癌のサバイバーです。Tちゃんも同じく乳癌を克服しています。
仲良し七人組のうち癌に罹患したのは3名。
私たちもそんな病気が身の上に起こる歳になりました。
Sさんは私と同じくご主人を亡くしています。
本人の病気だけでなく孫の病気など家族の健康問題も抱えて
奮闘している姿に感心させられています。
みんな前向き、そして心優しき友人たちです。
パンの先生Nちゃんは飛び切り美味しいフルーツケーキと
クリスマスリースパンを持ってきてくれました。
せっかくのお料理とケーキをしゃべり倒しているうちに
写真を撮ることをすっかり忘れてしまっておりました。
いつも丁寧な生活ぶりに感心しているNちゃんが
みんなに手袋を編んで持ってきてくれました。
プレゼント交換で私は
Sさんの暖かい靴下にバスセットをゲットしました。
今日はYちゃん持参の高級梨と私の好物市田柿に
Tちゃんの手作りマドレーヌをお昼ごはんにいただきました。
美味しかった!
美味しいお食事がたっぷりだったのにお茶の時間を過ぎて
写真を撮っておくのを忘れたことに気が付いた間抜けな婆さんです。
平塚から、小田原から玉川上水から福岡から相模原からみんな
来てくれて本当に楽しいひと時でした。
彼女たちは広島の転勤先にもみんなで来てくれまして
爺さんのこともよく知っています。
そのころの話なども出てきて
そんな気の置けない楽しい会話に笑ったり涙したり
思い出話やお互いの近況報告などして時間が経つのを
忘れてしまうほどでした。
あとどれくらいみんなで会うことができるかなどと考えると
後ろ向きになるのでポジティブに考えて
会える時に楽しい時間を共有する幸せを感じながら
また次に会う約束をして解散しました。
先ほどブログを書いていましたら丁度ポーランドから
雪の便りが来ました。
孫は雪遊びが大好きなようです。
雪だるまをパパに作ってもらったのだと思います。
雪だるまのおててが木の枝とは...笑
子供というのは成長が早いですね。
そばにいないだけ余計にそう思います。
バルコニーから見た雪景色。
矢張り寒い国なんですね。
結構な積雪です。
私がポーランドに行った年の冬は
雪がほとんど降らず暖冬なのだなあと感じましたが
この雪の量を見ると今年は本当に寒いのでしょうね。
少しずつ買いためたのでしょうか?
プレゼピオが雪の景色と相まってクリスマスの雰囲気を
醸し出しています。コロナで何年か中止になっていた
クラクフのクリスマスマーケットも今年は人々が繰り出して
凄い混雑ぶりだったと娘が言っておりました。
クリスマスマーケットで木の実のリースを購入したことが
懐かしく思い出されます。
爺さんもあの時は元気でいましたし
いろんなことが思い出されます。
フレンドシップは餃子作り....ポーランドからのたよりと押し入れの中から出てきた43年前のプーさん。
終息が見えてきませんが
近隣国であるポーランドのことがいつも心配になっています。
しかし娘たちは至ってのんびりで
先日は独立記念日のパレードに行った写真が送られてきました。
ポーランドは17世紀あたりは騎兵が勇猛果敢で
その名をヨーロッパに轟かせていたといいます。
流石に馬を大事にする民族にして馬の立派なこと。
確か競走馬や乗馬の馬も日本からポーランドに求めに行かれることが
あるような話を聞いたことがあります。
しかし知識がないのにあれこれとは言えませんが
鬣といい均整の取れた美しい脚といい素晴らしいと思いました。
孫も2歳10か月となり
なんにでも興味を持ち動きも素早いので
追いかけて歩くのが大変なようです。
9月からパパの大学の職員が通う幼稚園にプレで
行き始めたと言っていました。
幼稚園大好きなようです。
さて今月のフレンドシップは餃子作りです。
Oさんのお宅がお当番です。
材料はひき肉にニラとえのきだけをみじん切りにしたものを
調味料と一緒に入れて作るというものでした。
えのきだけを入れるというのは初めてでしたが
出来上がりをいただいてみるとこれが美味しいのです。
アメリカの方も定番の包み方から
それぞれ好きな形で包んだりして
わいわいと世間話をしながら姦しくも
楽しく作っておられました。
そして日本の餃子は美味しい、好きだとも言っておられました。
材料を準備、細かくカットする方、
お皿を準備する方
お皿を洗う方とそれぞれ手分けして
右往左往しながらも楽しく餃子づくりが進んでいきます。
冷凍庫に長く保存したままになっていたクランベリーを
重い腰を上げてジャムにすることにしました。
爺さんがいなくなってから自分の食事さえ作る気がしませんでしたが
久し振りにジャムを作りながら
この時期紅葉した枝垂れモミジの下で
パンとジャムにコーヒーでのんびりした時を
爺さんと過ごした記憶が思い出され
甘酸っぱいジャムの香りにむせるような胸の痛みも感じ
暫くぼーっとしてしまいました。
11月は有難くもない私の誕生日月です。
森の散歩で少し遠出をした際に 誕生日を口実に
久方ぶりにお寿司屋さんに立ち寄りました。
目出度くもない誕生日を爺さんがいなくなってからは
初めて一人で迎えました。
誕生日には何が良い?と娘が言いますので
特別ほしいものはないけど白いスニーカーが古くなってきたから
それで、といいましたらこれを送ってきました。
履きやすそうで良いかなと思います。
先日奈良に出かけられたY女史から美味しいお土産をいただきました。
生姜そうめんもさっぱりしたお味で
チョコレートクリームをサンドしたパイのお菓子もおいしくて
コーヒーと一緒にいただきました。
感謝感謝です。
爺さんのためにお花をたくさんいただきました。
ウニの犬友達だったGさんが訪ねてこられ爺さんのことを
知らなくてごめんなさいということでした。
いえいえとんでもありません。
お心にかけていただいて恐縮ですと
暫し思い出話が弾みました。
同じゴールデンを飼っていましたのでウニの事も思い出し
涙しました。
先週はまた近所の方やら友人やらと お花がいっぱいになりました。
本当にありがたいことです。
爺さんの照れくさそうな笑顔を思い出しました。
庭の塀が古くなっていて少し心配でした。
見ていただきましたら矢張り亀裂もあるということなので
上の部分を撤去して貰いました。
低くなりましたので地震が来ても倒れる心配がなくなりました。
然しちょっと丸見えになってしまう箇所がありましたので
いつもの植木屋さんに相談しましたら
丁度よい植木があるということでした。
ソヨゴかヤマボウシはどうかということだったので
赤い食べられる実のヤマボウシにしてみました。
ヤマボウシの実がたくさん付いてきました。
食べられる?と思いましたが我が家の植物研究家??の孫が言いますには
中身が食べられるとか。
まあ冬に向けてお庭が枯れて寂しいところに赤い実がついた
木があると何となく心も温かくなるというか、
そんなところです。
終活の一環としていつ何があってもよいように
身の回りのものは出来るだけすっきりさせておきたいと思いまして
いらないもの、使わないものは処分しようと思っています。
そんな時に押し入れの茶箱を見てみましたら、
几帳面な爺さんの仕事と思いますが子供たちが
幼稚園の頃のお絵かき帖、小学校の工作や記録などが
出てきました。そして2歳の頃の長女が遊んでいた
プーさんのぬいぐるみが出てきました。
舐めたり噛んだりしてぼろぼろのお顔、
まだ若かった私たち夫婦のいろんな出来事まで思い出されて
人生はあっという間に過ぎていくということを改めて
実感してしまいました。
ジュゼッペアルチンボルトetc そして久し振りの楽しいランチ
15世紀のイタリアの奇才アルチンボルトに出会いました。
実は前から見せていただきたくてうずうずしていたのです。
いつも敬愛するY子女史のお友達Sさんが制作される
アートなフアブリックは素晴らしいの一言。
この数年間爺さんのことがありましたから
見せていただくというそんな思いを
忘れておりましたが
先日、機会があり我が家で久しぶりのランチに
来ていただくことができました。
上の写真は残念ながら良く撮ることができませんでしたが
実物はアルチンボルトの絵を模したというより
Sさんの感性で植物やお花を布でアルチンボルト風に
表現されたといったほうが的確かなと思います。
見せていただいて思わず感嘆の声をあげてしまいました。
眼鏡から覗く青い瞳が横目に
見遣る表情が何とも言えません。
中世ヨーロッパの絵画から出てきたような婦人像の
目の描き方、いや縫い方に感心しました。
流石に美術を勉強なさったSさんです。
目も生きているというか,
頬がほんのりピンク色なのも 唇の下の陰影も
すべて糸と布で表現されています。
これはデッサンがきちんとできないと
作れないものだと感じました。
中でも私がとても気に入ってしまった
バセットハウンド犬の作品です。
これも目の表情がこの犬種の特徴を捉えていて
あまりに魅力的で欲しくなってしまいました。
実はウニを飼うときにバセットハウンドにしようかと
迷ったことがありましたので爺さんとのやり取りの事も
懐かしく思いだしてしまいました。
ちょっと忘れましたが、
ピカソがあまり好きではないし
よく知りませんけれど
Sさんの作られたこれは布の色使いといい
その面白さに思わず見入ってしまいました。
魅力的な作品には間違いありません。
もう一つ、フェルメールの少女像のような
あどけなさと初々しさのある表情が
糸と布でこれまた表現された素敵なものでした。
お持ちいただいてこれらを椅子に並べてみましたら
圧巻!!うっとり眺めて時間を忘れてしまいそうでした。
Sさん本当にありがとうございました。
とても楽しませていただきました。
爺さんが見せていただいたら何て言ったかしらと
爺さんの言いそうなセリフを思い浮かべ
思わずくすりと笑ってしまいました。
爺さんに見せたかったなあ。
美人の誉れ高いY子女史から爺さんにいただいた素敵なお花。
大叔母から爺さんのお花は絶やすなと命令が来ています。
毎日お花のお水を変えてお線香もたいて
特にお花は切らさないように気を付けていますが
こうしてお友達からも素敵なお花をいただくと
大事に一日でも長く持ちますようにと
感謝しながら爺さんにお供えしています。
こうしてスワッグにして下さいました。
ハーブの香りが部屋中に漂って
このまま台所に吊るしておくとドライになりますので
それも楽しみです。
これもHさんのお庭に成っている
渋柿とザクロそしてバナナの葉です。
自然の恵みのオブジェになりました。
感謝感謝です。
爺さんがいなくなって以来のお客様です。
爺さんと2人でY子女史のお宅にお招きいただいたときに
ご紹介頂いたとても素敵なHさん、
アーティストで朗らかなSさん、
心優しい美人のY子女史、そして竹を割ったような
さっぱりした浅草出身、ちゃきちゃきの江戸っ子IKさん
魅力的な方ばかりで話題も豊富、
抱腹絶倒の会話に大笑いしながらできた皺を
ちょっぴり心配しつつ
今朝は爺さんのことを思い出し号泣していた自分が
皆さんに元気付けられたことで
気持ちが上向きになったことを感謝しました。
一人になってからは好きなお料理も
いい加減に作っていましたので久し振りに
簡単なものではありますが
お料理らしいものを作りました。
早朝森に出かけましたら
こんなかわいいカタクリの花を見つけました。
もう咲き終わりでしょうが
秋の終わりというのにひっそりと
林の木々の間に咲いていました。
暫く眺めていましたが
カタクリってかわいい花弁ですね。
今週はまた森の散歩に出かけてみます。
お読みくださりありがとうございました。
3年振りのフレンドシップはハロウィンでした。
爺さんを亡くしてから暫く森の散歩にも
出かける気がしませんでしたが
このところ秋晴れが続いており
主治医の先生からも森の散歩くらいは
出かけた方がいいですよと
言われていましたので久しぶりに歩くことにしました。
暫くぶりの森は何時もと変わらない風景が
そこにありました。
森もすっかり秋になっていて吾亦紅の色も赤茶色から
咲き終わりのダークな茶色になっていて
爺さんと2人で毎日散歩に出かけた日々が想い出され
やっぱり一人になってしまったんだなあと
つくづく実感しました。
人間の儚い命と比べてみて
植物は春夏秋冬変わらずにここに咲いて散ってと
繰り返し命が続いていて存在の証明を
誇っているように感じてしまう、
気持ちの整理のつかない自分が
嫌なばあさんに成り下がってしまったように思いました。
それでも矢張り野に咲く花には癒されます。
少し足を延ばしていつものハーブ園へ行ってみました。
アメジストセージでしょうか?
きれいに咲き誇っていました。
夏みかん?がたわわに生っていました。
可愛い白い花弁のヨメナです。
さて爺さんの病気のことで
長い間お世話になっていたフレンドシップグループを
3年前に退会しておりましたが
先日リーダーの友人が訪ねてこられて
また是非再入会しないかと
誘っていただきました。
落ち込みがちな毎日ですが何かまた楽しいことを
始めれば辛い気持ちも一時忘れることができるのではと思い
またお世話になることにしました。
早速の11月はなんとハロウィンです。
皆で伺った今月のお当番のSamanthaさんのお宅の
ハロウィンの飾りつけを楽しませていただきました。
しかし骸骨のヨガスタイルが
あちこちに置かれているのにはびっくり!
アメリカ的なカラーのお菓子。
しかしこれがキャラメル味のとてもおいしいケーキでした。
棺桶の形に切ったチーズ?だったと思います。
目玉に似せたブドウ!
何しろアメリカの方は楽しまれることにかけては
天才的?
ハロウィンに関連したお菓子やお料理が並びます。
どれもとてもおいしくいただきました。
以前はハロウィンといえばカボチャの
目や鼻をくりぬいてランタンをよく作りましたが
今回はペインティングということで
絵心のない私は上のような悲惨なものになりました。
自分でも何を書いているのやらと思いながらも
まあ楽しむことで良いのかなと。
たぶん包帯を巻いているところを現したのでは
ないかと思います?
それぞれに楽しい飾りつけで
楽しませていただきました。
お味も良かったです。
おいしいグラタンでした。
お喋りしながら楽しくスナックをいただきました。
出来はどうであれカボチャのカットよりも
ペインティングの方が簡単に出来ていろいろ工夫すれば
楽しいお絵描きのようで
これは孫にもやらせてみたいと思いました。
カボチャもいつものビッグなものではなく
可愛い小型のものですので飾っておくのにも
ちょうどよいと思いました。
手首に付けていますのはピカピカと
点滅するハロウィン用ブレスレットをいただいたものです。
ばあさん二人ああでもないこうでもないと
言いながら楽しませていただきました。
私の頭にも悪魔の角が!
何やらぴったりのような気もしないではありません。
然しこの方のものはとてもユニーク!
前衛芸術チック??
さて、Samanthaさんは美術専攻とおっしゃった
とてもかわいく聡明なかたです。
日本の古いものも大好きで骨董市で購入されたのか
古い民芸ダンスや置物が素敵にデコレートされていました。
ハロウィンの骸骨に見猿,言わ猿、聞か猿が
置いてあったのには笑えました。
そしてその意味も分かっておられて感心しました。
本当に久しぶりに笑って楽しむことで
辛い気持ちを暫し忘れることが出来たことは
友人にも皆さんにも感謝です。
矢張り笑ったりお喋りしたりと楽しい時を過ごすことは
精神的にも大事なことですね。
爺さんを偲ぶ日々、そして癒しの旅路、松山道後から呉、広島へ
4月に最愛の夫が亡くなりましてから
丁度半年が過ぎました。1年半という短い闘病生活でした。
爺さんが亡くなるなどとは考えられなかった、
考えたくもなかった私はまさに現実逃避をしていて
日々病状が悪化していく中にあってもきっと良くなるはずだと
信じて疑わなかったお目出度い人間でした。
そんな私に亡くなる何日か前に爺さんが言った言葉は
「俺が死んだら○○から必要書類が来るから心配しないで、
愛してるよ、でもお前は現実を見ようとしないでいつまでも
夢みたいなことを言っているから駄目だよ。
現実を直視して、死んだ後の事はわかるようにしてあるから」
というのです。
私が「そんなこと言わないで、まだまだ大丈夫!元気になる」
と言いますと
「馬鹿!又夢みたいなことを言って俺は自分で思っている以上に
人生を全うしたよ」そんな覚悟を持った言葉を告げられると
私には返す言葉がありませんでした。
爺さんは覚悟のある強い男らしい人でした。
ウニもデッキでよくのんびり鶯の声を聴いていましたが
ちょうど爺さんが苦しい息の下こんなやり取りをしていましたら
どこかしら森から鶯の鳴き声がして
まるで私と爺さんを見守ってくれているかの様な
それは不思議な感覚でした。
爺さんを病院から許可を頂いて我が家に連れて帰ったことは
コロナ下にあって正解だと思ましたし病院で死なせたくなかった。
爺さんを看取ったことは私にとっては辛い体験でもありましたが
逆に考えると私が先に亡くなる事は残された爺さんが
辛い喪失感と孤独を味わうのだと思うといたたまれませんでしたし
私がその役目を引き受けることは唯一良かったと思っています。
爺さんを亡くしてから5、6月は最悪の精神状態でした。
夜は全く眠れず、朝もボーっとしているのです。
爺さんが亡くなったのは現実に起こったことではなく今も夢の途中で
夢から覚めてないのではなどと考えてしまうのです。
blogどころではなく深い沼に沈んでいく
感じだったような気がします。
今まで経験した事のない喪失感でした。
けれど何とか少しずつ前向きにと思っていましたら
先日blogで仲良くして頂いている皆さんから
コメントを頂き沈んでいた気持ちが少し上向きになってきました。
日常の生活の中でも突然涙が溢れてきて困惑することは
ありますが「母さんを頼む」と子供達に言って亡くなった爺さんの為にも
弱音を吐いてばかりもいられません。
友人が誘ってくれたことを切っ掛けに昔転勤で住んでいた
思い出の地に爺さんの供養を兼ねて婆さん二人旅することにしました。
上の写真は結婚する少し前に行った広島県にある瀬戸内海の島、
倉橋島にある桂ヶ浜荘のカフエから撮った写真です。
呉市も広島市も劇的に変わっていて浦島太郎のように口をあんぐり開けて
変貌を遂げた町を見て唸ってみてもそれは当然の変化なのですが
懐かしい時代が過ぎ去って爺さんとの思い出も消えてなくなって
しまったような寂寥感を感じてしまいました。
ただ倉橋の海は変わりなく青い海や波の音が私の心に
何か温かいものが呼び覚まされるようなそんな感覚を持たせてくれました。
新横浜で友人と待ち合わせ新幹線のぞみで
岡山まで行きそこから四国の新幹線?しおかぜに乗り瀬戸大橋を
渡って松山の道後温泉まで行きます。
車内から瀬戸大橋を渡りながら眼下に広がる雄大な海と山の景色を
楽しみました。
松山には14:00台に到着。
松山は爺さんの愛読書、司馬遼太郎の坂の上の雲のモデルとなった
秋山真之、好古兄弟が伊予の国松山で生まれ育った場所です。
今回は時間がなく坂の上の雲ミュージアムには残念ながらいけませんでしたが
次回又来ることが有れば行きたいと思います。
現在歴史的建造物の道後温泉本館は修復作業中でした。
お湯には入る事が出来ましたが
何か申し訳ない様で入りませんでした。
外から暫し眺めさせていただきました。
漱石の坊ちゃんのおはなしは自身が赴任していた松山が
モデルと言われているようです。
漱石の赴任した旧制松山中学は秀才の集まりであったのか
そしてあの松山兄弟の学び舎でもあるという事は
漱石が教師として如何に苦労したのかを
窺い知ることが出来るのではと感じた次第です。
素敵な設えが館内のあちらこちらに
お宿の気遣いに心がほっこりします。
道後の商店街に置いてあった
昔ながらの可愛い赤いポスト。
ほっこりしますね。
道後に到着した日に観光案内所の方から
明日はコロナで開催されなかった道後秋祭りが
3年ぶりに開催されるので是非見て下さいと
教えて頂きました。
早朝6時から8体の喧嘩神輿が押し合い競う
中々に激しいお祭りだそうです。
桟敷席ではないので十分には見られません
でしたが鯔背な若い衆の怒号や掛け声だけでも
見学者の私達にもその熱気が十分に伝わり
お祭り気分満載でした。
お祭り好きには心躍るものでしょうね。
伊予鉄道の車両です。
曇り空にオレンジ色が映えて
このまま行き先も決めず気の向くままに
乗って行きたいと旅心を
掻き立てる気分にさせます。
旅に疲れた体を癒すのは
美味しい食事とお酒です。
と言っても私は下戸でございますので
お酒の美味しさはよくわかりませんが
友人は出された柚子酒が美味しいわと
気に入ったようでした。
爺さんを知る友人とふたり
爺さんの供養を兼ねて
感謝しながら美味しいお食事を頂きました。
照紅葉前菜盛りに
添えられた秋の風情の松葉と
透かし葉をあまりに素敵で
ノートに挟んで持ち帰りました。
道後を後に呉広島に向かうまでに
時間をとって住宅街の中にある
知る人ぞ知るのセキ美術館に
行く事にしました。
明治昭和の巨匠による絵画、
ロダンの彫刻など400点あまりの作品を
所蔵されていると教えて頂きました。
上村松園、松篁、淳之の3代の作品も
所蔵しておられました。
加山又造の艶かしい「きもの」
「白い道」は凍てつく大地と暗い空の対比が
不安を掻き立て寂寥感に押しつぶされそうな
思いを強く感じました。
対比的に黒田清輝のプレハの村童と
小磯良平の少女像は画家のもつ愛を
感じて温かい気持ちになります。
ロダンの彫刻も素敵でした。
ポリフォンのアンティークオルゴールを
聴かせて頂きながら秋の旅路の
芸術鑑賞を十分に楽しむ事が出来
幸せでした。職員の方も本当に親切で
良い時間が過ごせました。
美術館を後にして松山港に
シャトルバスで移動です。
流石に高速艇は早い!
あっと言う間に呉港に到着です。
瀬戸内の海の景色も流れるように
すぎて行きその昔のんびりまったりと
フェリーで行き来した風景を懐かしく思い出しました。
呉港に到着して又々びっくり、
昔の面影はどこにも無く
近代的なビルになっていて隣には
これ又巨大な大和ミュージアムが
建っています。
まあ我が住む街も知らないうちに
建物が建て替わりびっくりすることも
あります。ましてや50年は半世紀です。
変貌を遂げて当たり前と思いはするのですが
あの懐かしい街並みや風景のなかで若い日を
過ごした日々をノスタルジックに感じている
年老いた老婆が世迷言を言ってると
思われても仕方ないなと。
呉港の雰囲気も変わりました。
呉は尾道と似た坂の町です。
坂から降って湾が開けているので
その昔は軍港として栄えたのでしょう。
船の修理などを行うドッグが今もあります。
大和ミュージアムを見学させて頂いた後
隣りに素敵なカフェが出来ていましたので
お茶を飲んで少し休憩することに
しました。
それからネットでレンタカーをお願いして
いたのでトヨタヤリスをお借りして
友人が渡りたいと言っていた早瀬大橋を渡って今夜の宿倉橋島に行きます。
運転者の私によそ見はご法度。
友人が絶景かな絶景かなと
叫ぶのを聞いておりました。
瀬戸内の景色は本当に美しい!
50年前
若かりし頃爺さんと来た
思い出の倉橋島の桂が浜荘に
やって来ました。
夢を語り まだ何の不安もない
楽しかった日々の事が昨日のように
思い出され胸が苦しくなってきます。
倉橋の海や山の風景はあの頃と
変わりなく懐かしさが込み上げてきます。
桂が浜荘は横浜から帰って来られた
先代のお孫さんが今は運営されている様です。
昔此方に伺った話をしますと
先代が喜びますと言って下さいました。
朝な夕なに表情が変わる
美しい瀬戸内の海の景色は
いつまで見ていても飽きません。
その上晴れた夜は満点の星が
夜空に広がりこの日も
爺さんの事を思い出し
目が冴えてねむれませんでした。
この砂浜を2人で歩いた遠い昔
長女が生まれてから親子で
砂遊びに興じた日
そんな事を思い出しなから
今は1人になってしまった
所在なげな婆さんを友人が
写真におさめてくれました。
桂が浜の小さな可愛い貝を
拾って帰って来ました
そして爺さんにお線香をあげながら
爺さんの側に並べて
旅の報告をしました。
桂が浜荘の夕餉は
新鮮な大きなカワハギの
お造りでした。
大きな肝も甘くコクのあるお味で
爺さんも好きだったことを思い出しながら
頂きましたが2人では食べきれない量でした。
煮物和物他のお料理も美味しく
昔と変わらぬお味で感激しました。
倉橋をあとにして向かった先は
明治に築地から移転して以来先の大戦まで
聖地?でもあるとガイドの方が仰っていました。
今は海上自衛隊が管理しておられ
この歴史的建造物を
見せて頂ける事に感謝です。
教育参考館
旧海軍兵学校校舎
確か東郷平八郎の遺髪が
安置されている場所です。
素晴らしい書と絵を残されています。
文武両道とはこの方達のことを
言うのだと改めて認識しました。
先の大戦で日本各地から集まった
秀才中の秀才が数多の命を失ってしまった事は
日本にとっても大損失だったと思いました。
今の日本や世界の現状を空の上から見て
嘆いておられるのではと
申し訳なく思ってしまいました。
旧兵学校を後にし島のドライブを楽しみながら
お昼は江田島オリーブファクトリーに
立ち寄り現地で採取ファクトリー内の
工場で圧搾されたオリーブオイルの
SHOPでお土産を買いながら
併設のレストランでお昼を頂きました。
車を返却しJR呉線で
広島まで行く事にしました。
広島は中国地方最大の都市で
商業経済の中心的な近代都市です。
然し昔も発展した街でしたが
到着してみたら想像を超える都市に
なっていて町の中心を走る市電が
変わりなく走っている事に何故か当たり前でも懐かしく
安堵した気持ちになりました。
爺さんが生まれ育った横浜は私達がまだ若いころは
中心部を市電が走っていてよく利用したしたものです。
そんな思いを抱きながら
広島駅からホテルのある八丁堀まで市電を利用しました。
八丁堀は中心地なので平和記念館や
原爆ドーム、美術館、デパートなどが
あって市内観光には便利です。
先ず平和祈念館に行きましたが昔の展示とは大きく変わっていて
意気地なしの私にはその悲惨な映像や展示物を
しっかり見る事が出来ず足早に見終えてしまいました。
唯々悲しく人間がこんなに残虐非道なことが出来るのかと
怒りや悲しみで一杯になりました。
当時の広島で確かに生きていた特に子供たちの
写真に残された笑顔が焼き付いて頭から離れません。
婆さん2人暗澹たる思いを抱えたまま
暗い気持ちでひろしま美術館に向かいました。
今日は人気があるヨシタケシンスケ展があるので混雑しているとの事で
時間指定の整理券を頂に行き
時間が来るまでお茶を飲んで待ちました。
私の好きなエコールドパリのローランサン、モディリアーニ、藤田
シャガールなどを所蔵していてこれらを堪能する事が出来ました。
ヨシタケシンスケ展の方は混んでいましたが
こちらは本当に空いていてゆっくり鑑賞出来て幸せでした。
ヨシタケシンスケという方を全く知りませんでしたので
興味深く見せて頂きました。
上の天国のフカフカ道では
大人も子供もフカフカクッションの道を
楽しそうに歩いていて何だか幸せに感じました。
あなたもリンゴかもしれないコーナーでは
私も年甲斐もなく写真を撮って楽しませて頂きました。
道後で友人が美味しいと言っていた
蔵元の柚子酒と蜜柑塩を お土産に買いました。
江田島のオリーブファクトリーでも
レモンオイルを買ってみました。
今回の旅は若いころ爺さんと暮らした
思い出の地を訪ねる旅でしたが友人のお陰もあって
とても有意義な楽しい旅となりました。
爺さんにも報告が出来ましたし
無事に帰ってこられて本当に感謝です。
私にとって爺さんとの出会いは人を愛する事の
喜びを教えてくれました。
私は両親が離婚をしていて親から愛された記憶が
あまりありません。
ただ祖父母が代わって愛情一杯に育ててくれたことは
今でも感謝しています。
爺さんも早くに父親を亡くして苦労したと思いますが
誰にも頼らず大学も卒業し持ち前の強い気持ちで
人生を乗り切ってきた気がします。
私が思うに私たちはベターハーフだったと信じています。
結婚して50年お互いを必要として生きてきました。
ゼウスが半分にしてしまった片割れを
やっと見つけたのに
またもやもぎ取られてしまった
今はそんな気持ちです。でもこれからは爺さんに感謝して
爺さんが迎えに来てくれるまで前向きに
残された人生を全うしたいと思っています。
今回の旅はそんな思いを新たにした旅でした。
婆さんのくどくどとかいた戯言をお読みくださり
感謝申し上げます。
有難うございました。
深まる秋に今年は嬉しい秋の実りの便りが届く。そして婆さんのショパコンロス
今年もコロナコロナと嘆いているうちに霜月になってしまいました。
来月は師走なんて信じられません。
いつも年寄りの口癖ですがあっという間に時が過ぎ去り
あっという間に私の人生も終わってしまうような気がしております。
この所爺さんとあとどのくらい一緒に過ごせるかと思いながら
気持が沈んだり又前向きにならねばと思ったり
安定しません。
爺さんも熱の上がり下がりや気分不良で
体力も落ちてきたような気がします。
それでも冗談を言って私を笑わせたりもしますが
流石に先日申請した介護保険の介護度決定通知書に
要介護1と記入されていたのにはショックを受けておりました。
自分はおそらく要支援だろうと思ったようです。
認知は全く問題なくとも著しい体力低下などと共に
医療処置が多くそれも含んでいるようです。
これからも二人三脚で何とか乗り切るしかありません。
色々と複雑な思いでおりましたら
ポーランドから夕日が美しい公園の写真が送られてきて
少し気持ちが落ち着きました。
冷え込みが厳しくなってきているようで
ダウンを着て外出しなければならないようです。
爺さんの看護の日々ですがそんな中
ショパンコンクールの天才的なコンテスタントの方々の演奏に
深夜酔いしれておりましたが滔々終わってしまいました。
然し思い出しても素晴らしい演奏を聞かせて頂きました。
ワルシャワのあの古い荘厳なホールで
生で聞いたらどんなに素晴らしいかと思い描きながら
魂のこもった演奏は何度聞いても涙が出ます。
本当に素敵でした。
スペインのガルシアガルシア君も驚くばかりの
パフオーマンスで圧倒されましたし角野隼人君も素晴らしかった。
そして毎日夢中になって聞いたコンクールが終わって
婆さんはショパコンロスになってしまいました。
ちょっと嬉しい様な悲しい様な出来事は
応援していたポーランドの優勝候補シモンネーリングくんが
良く知っていらっしゃる方だったそうで
世の中狭いものですね。
然し返す返すも牛田君やネーリング君は残念でした。
でもコンテスタント全員実力伯仲で何方が入賞しても
おかしくないほどなのではなかったかと素人の婆さんは
解らない乍ら思ったわけです。
然し本当に素晴らしいものが聞けて幸せでした。
我が家の側の公園にも秋の深まりとともに
野鳥や植物の変化が見られます。
毎年の事ながら秋は矢張り物悲しいですね。
ガマズミの赤い実がたわわになって居ました。
青空に真っ赤な色が映えて美しい。
青い実がなって居るのですが
何と言う木なのかわかりません。
かわいい形の実が7,8個固まって付いています。
公園のビジターセンターの側の椅子に座って暫く眺めておりました。
薄紫の野菊の何て可愛らしい事!
この日は足運びが酷く悪くなった爺さんの亀の歩みを
支え見守りながらすぐ近くの小さな広場に来てみました。
保育園の可愛い子供たちが楽しい可愛い声を上げながら
走り回っている様子を爺さんと二人「可愛いわねえ」と
言いながら爺さん一言「孫たちに会いたいなあ」と。
暮れかお正月には会えるわよと話しながら
10分で帰れる距離を40分くらいかけて帰宅しました。
別の日に一人で歩いていてこのムクノキのカードを見つけました。
いつも植物のお話を楽しく一言書いてくださっている方の
お人柄が偲ばれるカードです。
エノキのお話も面白い。
トウネズミモチの木
小鳥たちが好んで食べるそうですが
美味しいのでしょうか?
爺さんの事で小さな庭ですら見遣る余裕がなかったのです。
手が回らなくなって困っていましたところを
お友達に紹介された若い庭師さんに入って頂くことになりました。
若く気風の良いお仕事の早い植木屋さんです。
その時に気が付きましたのは柊の木に赤い実が沢山付いていたことです。
長い間中々赤い実が付かず諦めていましたが
今年は赤い実が沢山付きました。
そして形よく刈って頂きました。
来月のクリスマス前には小さいアレンジがこれで出来そうです。
ご近所の塀の所にアケビが見事に生っていました。
先日爺さんの2年先輩の旧知の方から
ご連絡を頂き爺さんとても嬉しかったようです。
現役のころから何かとお世話になり良くしていただきましたが
少しご無沙汰しておりましたら矢張り大病をされていたようで
びっくりしました。
今は千葉に別荘を買って畑を作っておられるようで
都心からキャンピングカーを運転して週末を過ごされているとか。
兎に角早く元気になるようにと畑の収穫を送るからと
送って頂いたおさつの種類が凄いのです。
無農薬無肥料の自然農法に凝ってらっしゃるようで
安納芋や黄金千貫など聞いたことが無いお芋迄頂、
嬉しく楽しく頂いているところです。
ご長男のお嫁さんのご実家の京都から大枝の富裕柿も頂きましたが
甘くて美味しい柿でした。
気が滅入る毎日の中どれほど心が安らいだか知れません。
本当に感謝あるのみです。
肥料も農薬も何もなし、
あるのは枯れ葉のたい肥等だけらしいのですが
立派なお芋です。
焼き芋にして見ましたらホクホクして
自然の甘味があってとても美味しいのです。
爺さんの友人が今年も愛知の山里から送ってくださった栗を
甘く煮ておりましたのでそれを使って
栗のパウンドケーキを作ってみました。
いつもの作り方だと力が要ったり少々面倒だったりしますので
ミキサーに粉類を入れて冷たいバターを切って入れ
玉子も入れてビューンとまわして出来上がり!
これが何とまた簡単で良く膨らみ
きめが細かいパウンドケーキが出来上がるのです。
手に力が入らなくなった婆さんのケーキ作りに
これからこのレシピが活躍しそうです。