クラクフ滞在最終日、ヤゲウォ大学内博物館とショパンコンサート
クラクフ滞在最終日となり今日は織物会館付近の可愛いお店を
覗いたりお土産物を物色しました。
お土産用に買った大好きなKarmello
グダンスクでいただいたお土産美味しそう!
Karmelloのチョコレート屋さんの通りを少し行った所にConsonniという
可愛いお菓子屋さんを見つけました。そこで購入した
Beziki kabaweとPierniozkiというお菓子で クロワッサン型はスグリの?ジャムの
入ったクッキーでした。クラクフの郷土菓子ですと、教えてもらいました。
これが凄く美味しいのです、次回行ったら是非またこのお菓子屋さんで
ほかのお菓子も試してみたいと思っています。
店員さんも可愛く感じの良い方でした。
美味しいです。
チェリー酒?が効いておいしい。食べ過ぎると酔っぱらうかもしれません。
お土産にといただきました。
友人が大好きなクルフカ、お土産用に買いました。
本当に美味しいです。
流石スープの国です。数種類のインスタントスープの素を
買ってみました。安い!
インカです。社会主義のソ連統治時代、物資が少なくコーヒーも手に入りにくかった
時代に苦肉の策で考えたコーヒーに似せた、
多分麦焦がしの?ような飲み物でしょうか?ノンカフエインという事で
今も飲まれています。
旧市街のお店散策を終え、今日はお婿さんがヤゲウォ大学内博物館
に予約をしてくれていてママに見せたいと連れて行ってくれることに
なって居ましたので楽しみに出かけました。
ちょうどからくり時計の出てくる時間でこれを楽しみました。
多分博物館のキュレーターか?ガイドは英語なのでところどころしか
理解できませんでしたので娘に通訳をしてもらいながら見せていただきました。
何しろ古い歴史で設立は1348年。
スラブ人による最初の大学でもあるという事です。
気が遠くなりそうです。
14世紀からの調度品が保存されている訳です。
この年代物のピアノはショパンが当時弾いていたものと同じ型で
調律をすれば今でも弾けるレベルのものだそうです。
凄い!の一言。
この大学の出身でもあるコペルニクスの専門の物理、天文学分野の展示です。
歴史的な古い天体望遠鏡などが並んでいました。
ここは医学部関連の展示がされていてレントゲンが発明された最初の
レントゲン装置が展示されておりました。
興味を引いたのは象牙で作られた人体の模型です。腹部の部分が
とれるようになっていて胃部や腸、心臓と小さな細工に驚きました。
前面に見えるのは古い天球儀です。小さな球は地球を表します。
12使徒を描いたステンドグラスでしょうか?
本当にきれいでした。
設立なさったカジミエシュ大王だったと記憶していますが?
古い食堂や講堂など今でも場合によって
使っているとお婿さんが教えてくれました。残念ながら写真には取れませんでした。
フラッシュをたかなければ撮ってよいとのことでしたが
遠慮させていただきました。貴重な資料の数々を悠久な歴史の中で
ドイツやロシアの侵略にあいながらも守り継がれていかれた
大学の関係者の方々に尊敬と憧憬の念を禁じえませんでした。
1939年と書かれたアーチ形のドアでこの博物館は終わっています。
1939年はヤゲウォ大学にとって決して忘れてはならない年なのです。
ここで古い伝統に支えられ学問の研究に勤しんでいた教授陣がどうなったか。
1939年9月1日ドイツ軍と同盟軍スロバキア軍、
続いてロシア軍がポーランドに侵攻してきた年です。
あろうことかナチは一つの国を侵略するためにはその国の頭脳の
インテリ層はまず抹殺、私のような無知な人間は労働力というのが
侵略する側の考えでそれを実行したのです。
ですから教授陣は突然何の前触れもなく集められ
強制収容所行きとなったわけです。娘がこの話を聞くと
お婿さんのことを想い涙します。もし、当時ならば彼も
連れて行かれた訳です。ワルシャワは市民や中学生まで戦ったわけですから
その悲惨さたるや想像を絶っします。
つくづく平和であることを、そしてあり続けることを
祈らずにはおられませんでした。そしてこのドアを出るときに
神に祈りながら当時のポーランドの方々そして教授陣の
お気持ちに思いを馳せ黙禱いたしました。
気持ちを切り替え街歩きでバベル城の全景が収まるスポットへ
連れて行ってもらいました。
夕暮れ時にビスワ川とバベル城がきれいにショットに
おさまりました。
ユゼフ・ピウスツキ将軍の像
ポーランド共和国建国の父、ヨーロッパで迫害されていた
ユダヤ人を他民族国家にするというヤゲウォ思想で
保護したそうです。
お婿さんが小さいころ良くパパとママとここにきて遊んだ野原というか
広大な公園。ホースレースも行われることがあるとか。
暮れなずむ夕日がきれいでした。
明日は爺さんと老犬の待つ
日本に帰ると思うと
娘夫婦、ママとの別れを想い
少し寂しい気持ちになりました。
しかし色々考えさせられるけれど
家族のおかげで楽しい旅となりました。
神に感謝!
散歩から帰りお婿さんが買ってきてくれた私の好物の
クレムフカとこれまた美味なるラズベリーのケーキで一息休憩です。
夕刻お婿さんの友人で家族ぐるみのお付き合いをしている
頂き、ショパンハウスでの彼のコンサートに行ってきました。
ショパンハウスの演奏は観光客向けでもありますが
流石に素晴らしかった。下手なピアノ愛好家の婆さんには
感動物の演奏でした。観客も大拍手で褒めていました。
彼は明日からイスラエルその他の国へ演奏旅行に出かけるそうです。
道中ご無事でと祈りました。
演奏会の帰り道、市庁舎にポーランド国旗が垂れ下がっているのを
見ました。何かの記念日と教えてくれましたが忘れてしまいました。
夜の広場の馬車
ポーランド最終日のディナー、よく行くトラットリアマンマミーアです。
何だか明日は別れが来ると思うと いつもより美味しく感じられません。
でも、ここはとても良い雰囲気の、私たちには
ころ合いの良いイタリアンといったお店です。
日本へ帰る朝、早い朝食を済ませ、
ワルシャワでプレスがあるというお婿さんと娘と3人で
クラクフ空港へ向かいました。途中タクシーの中から垣間見る
急に色づいてきた公園の木々。
娘夫婦に楽しかった旅行のお礼を言いながら又の再会を
約束しました。クラクフから
プロペラ機でワルシャワに向かい到着したのは13:00です。
15:10分発の成田行LOTに搭乗します。
ワルシャワについてパスポートチェック時
あれだけノンシェンゲンに並ぶのよと言われていたにも関わらず
ボーっとしてシェンゲン内のラインに並んでいました。
時間の余裕はあったのですが自分の順番が来たときに係官から
「ここではなくてあなたは向こうだよ」と言われてしまい、
でもにこっとしながらやさしかったです。
ポーランドの人は最後までやさしい!
慌ててノンシェンゲンの列に並び変えましたがなんと
そこに中国の方たちが長い列、進みません。
すると後ろのアメリカ人?らしい初老の紳士が「隣に係官が来るから
隣に移った方が早いよ」と親切におしえてくれました。
それでお礼を言って開いていたすぐ隣の列に行きましたら
休憩から?帰ってきた係官が私に向かって「次どうぞ」と
言ってくれ待たずにパスポートチェックを
終えることができました。
最後の最後まで旅は色々あるものです。
搭乗して10時間ちょっとで成田に到着したのは朝の9:30
頃でした。わが身にお疲れ様と言いながら
爺さんと老犬の待つ我が家に無事帰宅しました。